にわかの面

(イ) 博多では博多にわかの面を半面(はんめん)と言います。これをかぶる理由は一般的には「正体、身分を隠すため」と言われています。面をつけて、にわかをすれば「誰が言った」ということをとがめないことにしようということです。 

(ロ) 面を付ける目的には二通りあります。その人・動物・神などになりきるための面、つまり能面や縁日で売っているアンパンマンやウルトラマンなどの面です。もう一つは正体・身分をかくすための面です。怪傑ゾロのマスクなどがそうです。博多にわかの面は正体を隠すための面と言われています。面をつけることによって何を言っても無礼講にしようということです。

(ハ) 今から350年くらい前は提灯を半分に切って目の部分だけをくり抜いた提灯半面に始まるとの説もあります。それが200年ぐらい前に黒塗りの面に変わり、明治になり白塗りになり明治10年代20年代になって今のような半面になったとの説もあります。(「にわか今昔談義」)

(ニ) 福岡藩士海妻甘蔵(1824〜1909)は明治になって記した己百斎筆語に白紙に眉と眼を描いた面で顔をかくし、にわかをする者がいたとあります。(「筑前人物遺聞」) 

(ホ) 寛政のころ(1800年頃)江戸で百眼(ひゃくまなこ)という芸が流行りました。いろいろな表情の今の博多にわかのような面を用意し、ひっかえとっかえして話をしていくというものです。落語家三笑亭可上とその弟子も高座でしたそうです。また、歯磨き粉売りの米吉という人が百眼をして商売が繁盛し向島に別荘を建てたそうです。また、面は目かづらとも言われていました。

(ヘ) 博多にわかの半面は天保(1830〜44)のころ名人といわれた川端町の岡崎屋喜平が最初に付けたともいわれています。岡崎屋喜平が目のところをくり抜き眉を書き、鼻は「い」の字を書いた半面を考案したと波多江五兵衛さんが語ったそうです。(「ハカタはかた」朝日新聞編)

(ト) 大阪俄でも半面をつけて俄をしたという記録もあるそうです。

(チ) 韓国に仮面劇というのがあります。詳しくは知りませんが風刺の喜劇だそうです。それぞれの面はどぼけた表情で笑いを誘います。虎や獅子の体は二人がかりなので風体も大きく、当然、面も人の面より四倍くらい大きいものです。面をつけて笑いのある風刺劇をするという点では博多にわかと似ています。江戸時代になって福岡藩は朝鮮通信使が通過する時の接待役を幕府から命じられます。ほとんどが今の新宮町相島での宿泊でした。余談ですがこの時に貝原益軒も朝鮮の儒学研究者に会ったりしています。「人生で一番幸せの時であった」とも言っています。福岡、博多と朝鮮との交流もあったと思われますし、残された朝鮮人もいたと思われますが、いまのところ、博多にわかの面と仮面劇の接点が見出せません。しかしながら関連性はゼロと結論付けもできません。調査していくと面白そうです。


半面製作

にわか面のいろいろ